2020年で100周年を超える大手自動車メーカーのマツダ。国内の自動車メーカーでこれほどの老舗はそう多くありません。今回そんなマツダの歴史をご紹介していきます。
創業から100周年の老舗「マツダ」の歴史

マツダの創業は1920年。このときの社名はマツダではなく東洋コルク工業株式会社でした。創業から7年で東洋工業株式会社に社名変更。今のマツダ株式会社という社名になったのは1984年のことでした。
社名の由来は創業者である松田 重次郎氏の姓からきています。マツダは英語でMAZDAという表記で書かれます。これにも理由があります。
ゾロアスター教のアフラ・マズダー(Ahura Mazda)の名前を参考にしていて自動車産業の光明になるようにという願いが込められています。
創業当初、マツダは自動車開発には携わっていませんでした。1931年、三菱商事と3輪トラックを生産する契約を締結。これがマツダの記念すべき生産車第一号となります。
それまでにマツダが行ってきたコルク生産業がこのトラックの生産に大きく役立つこととなります。
そして終戦後の1960年、3輪トラックを製造していたマツダが4輪自動車の開発へと踏み切ります。その初のモデルが「R360クーペ」戦後の日本車としては初のクーペを名乗るモデルです。
当時すでにスバル360が大衆車としての市場を切り開いていました。マツダの「R360クーペ」は価格設定をスバル360よりも安価に設定したことから非常に高い人気を得ました。

マツダの名が世界に轟くきっかけとなったロータリーエンジン
1967年、マツダは世界中にその名を知らしめることになります。そのきっかけとなったのは量産ロータリーエンジンを搭載した車「コスモスポーツ」
この量産ロータリーエンジンはドイツのNSUヴァンケル社が開発したもので当時、世界中の自動車メーカーが目をつけていました。しかし、実際に実用化に成功したのはマツダだけでした。
厳密にいえば世界で初めてロータリーエンジン搭載車を販売したのはNSUヴァンケル社のヴァンケルスパイダーでした。しかし、この時に搭載されたエンジンはロータリーエンジンの多くの課題を残したままでした。
これに対しマツダが販売したコスモスポーツの10A型エンジンは多くの課題を解消し量産をも可能にしました。そのため世界初のロータリーエンジンの実用化を成功したのはマツダということになっています。
そして、その後もマツダは多くの名車を生み出しています。
東洋工業株式会社からマツダ株式会社へ

1984年、ついに社名が「マツダ株式会社」へと変更されます。マツダという名は当時、同社が自動車ブランド名として使っていました。
社名変更後も大きく躍進を続けます。一時はフォード傘下に入る形になったものの2010年には資本関係を解消。
そこからはブランドイメージのアップと商品力の向上に努めました。そして誕生したのが「SKYACTIV技術」と「魂動デザイン」兼ね備えた新車種「CX-5」です。この車種は当時、大ヒットを記録し、いまでもマツダにとっては欠かせない存在となっています。
2019年、マツダは再び世界を驚かせることになります。その理由は究極のエンジンと称されるHCCIエンジンの実用化に成功したからです。
マツダの独自技術にもよって実用化と量産に成功したこのエンジンは「SKYACTIV-X」と名付けられました。ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの双方の利点を持ち合わせたスペックの高いエンジンと言えます。
「SKYACTIV-X」は2019年の12月にアクセラの後継車「マツダ3」で採用されます。
他社にはない独自のものづくりで根強いファンも多いマツダ。これからもその技術力の高さで私達を驚かせてくれるでしょう。
