マツダ自動車の実質的創業者「松田重次郎」。現在でもマツダ自動車の社員は彼に敬意を表し、敬い続けています。今回はこの松田重次郎はどうしてそんなに愛される人物なのか、松田重次郎はどんなことを成し遂げた人物なのか?についてくわしく解説していきます。
松田重次郎とはどんな人物なのか?

松田重次郎は1875年広島県安芸郡仁保島村向洋(現在の広島市南区向洋)に産まれます。14歳で大阪に出ると、鍛冶屋で修業をしつつ機械の製作技術を習得していきます。その後は呉や佐世保の海軍工廠などで造船技術者として勤務。1906年には「松田式ポンプ」を製造、さらに販売をする為に松田製作所(大阪機工)を設立します。
事業は順調でしたが1921年には故郷の広島に帰り、1920年に創業されていた東洋コルク工業株式会社の社長に就任。この会社が事実上マツダ自動車の前身の会社です。東洋コルク工業株式会社でも懸命に技術開発を進め、圧搾コルク板の製造などを開発し、事業を軌道に乗せていきます。
松田重次郎が残した偉業を解説!

さらに、これで終わらないのが松田重次郎氏です。安芸郡府中村(府中町)の工場で三輪トラックの製造を開始、この三輪トラックに「MAZDA号」と命名し、広く販売を行い始めます。この三輪トラックでマツダの名前はどんどん広まり1台ブランドとして確立されていくのです。
当時戦争真っ只中だった日本では軍部から九九式短小銃の受注もあり、東洋工業株式会社でも、軍備品の製造を請け負うようになります。ここで一気に東洋工業株式会社は規模を拡大し、大企業へとのし上がっていくのです。
しかし、1945年広島は原爆で見るも無残な姿に変えられてしまいます。運よく広島の府中工場は爆心地より5km以上離れていて、直接的な被害は免れました。松田重次郎氏は、自社の復活を広島の復興の象徴にしようと技術開発に勤しみ、多くの県民から愛されていきます。
しかし、1951年に息子の恒次氏に社長職を譲った直後、1952年に帰らぬ人となったのです。いうまでもなく、松田重次郎氏の広島復興に対する熱い想いは、最大の偉業だったのです。
これからのマツダ自動車の目指す場所とは?
マツダの自動車はとにかく「高度な走行性能」が持ち味です。今後自動車業界は、電気自動車化に向かっていきますが、松田重次郎氏が提唱したバイタリティ溢れる経営指針は、今後もマツダ自動車の原動力となっていくことでしょう。
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というわけで、今回はマツダ自動車の創業者松田重次郎氏についてくわしく解説してきました。ほぼ小卒のまま修行に出て、いくつもの会社で経験を積む彼の姿からは、すさまじいパワーを感じ取ることが出来ます。今後、マツダがどうなっていくのか、非常に期待したいところです。
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