今当たり前のように乗っているガソリンエンジンの自動車ですが、日本国内で自動車が誕生するには、様々なドラマがありました。今回は日本の自動車産業のパイオニアでもある橋本増治郎氏とはどんな人なのか?について、詳しく解説していきます。
橋本増治郎とはどんな人なのか?何をしたのか?

橋本増治郎は1875年に愛知県の額田郡柱村で誕生しました。現在の岡崎市の辺りです。岡崎高等小学校から東京工業学校(現・東京工業大学)機械科に進学し卒業。その後1902年には渡米しニューヨーク州オーバン市の蒸気機関製造工場、マッキントッシュ社で働いていました。しかし、日露戦争が勃発した事もあり帰国し、東京砲兵工廠技術将校として機関銃の改良を行っていました。
終戦後は、九州炭鉱汽船崎戸炭鉱所長を務め、1911年に現在の日産自動車の前身の会社である快進社自働車工場を創業しました。1914年には日本第1号の自動車「ダット自動車」を完成させますが、快進社の経営はあまりうまくいかず、結局会社自体は解散してしまいます。
その後、ダット自動車の製造権は大阪の実用自動車製造株式会社が獲得し、ダット自動車製造株式会社を設立。橋本増治郎氏も専務として同社に関わりました。こうして、日本産の自動車は、トヨタをはじめ、ホンダ、などにも製造技術が広がっていき、現在の様に世界で有名な自動車製造国の仲間入りを果たしたのです。橋本増治郎氏は1944年、終戦を待たずして帰らぬ人となってしまいました。
世界のガソリン車はいつ誕生したのか?

一方で、世界ではいつ四輪の自動車が誕生したのでしょうか?それは1886年のドイツになります。ドイツ人技術者のカール・ベンツがガソリンエンジンの三輪車を創り出したのが始まりです。当時の自動車は円形のハンドルも無く、自動車とは言い難い見た目でしたが、そこから様々な技術革新が生まれ、現在の形状に至っています。
電気自動車になると様々な企業が活躍できるようになる
更に2021年から2030年にかけては、ガソリン車から電気自動車への変換が行われようとしています。この転換期には、自動車メーカーだけでなく、IT企業などの多方面の分野からの企業の参入が見込まれています。異業種の参入で、今後の自動車産業がどう変化していくのか?が非常に楽しみなところだと言えるでしょう。
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というわけで、今回は日本の自動車の生みの親「橋本増治郎」について、詳しく解説してきました。日本の自動車の誕生には、多くの苦労があったのではないでしょうか?さらに今後の電気自動車へのシフトチェンジも大変気になるところです。
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