マツダを代表する世界的な発明、それがロータリーエンジンです。今回はそのロータリーエンジンを創り上げたRE事業部のリーダー、山本健一とはどんな人でどんな功績を残した人だったのか?について、詳しく解説していきます。
山本健一とはどんな人だったのか?

山本健一氏は1922年に熊本県で産まれます。お父さんはチッソ株式会社の工場員で、熊本の工場に勤務していました。それから、東洋工業とチッソ株式会社が業務提携をし、お父さんの実家がある広島県に移り住んだのです。1944年には東京帝国大学(現在の東大)を卒業し川西航空機に入社。その後は海軍第一航空廠で戦闘機の製造をし続けました。
終戦後はお母さんの口利きで東洋工業に入社します。そこでは設計部を希望していましたが、配属されたのは組み立て現場職。組み立て現場で必死に努力をし、休憩時間、終業後には図面のトレースなどを自主的に行い始めます。
その姿を見た上層部は、彼を念願の設計部に異動させることを決意したのです。その後、設計部でダイハツミゼットに対抗するべくK360を設計開発し、車内での地位を確立させていきます。
山本健一はロータリーエンジンの生みの親!そんなに凄いの?

さらに1963年には当時の社長だった松田恒次氏から「ロータリーエンジン開発の部署」へ異動を命じられ、ロータリーエンジンの開発に全力を注ぎこみます。実は当時のロータリーエンジン開発部は、車内ではかなり評判が悪く、「社長の道楽部署」だとも言われていました。
しかし、当時ロータリーエンジンを作れる会社は世界にはどこにもなく、その開発を命じられた山本健一氏は松田社長から最も信頼されたエンジニアだったのです。松田恒次社長は「ここでロータリーエンジンを作って世界にアピールしなければ、会社は無くなってしまう」と危機感を感じ、それを山本氏に託していたのです。
1967年には世界初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」が誕生し、山本氏の苦悩は実を結びます。1984年には社長にも就任され、2017年に亡くなられるまでマツダを愛し続けた凄腕エンジニアだったのです。
山本健一と松田社長の関係とは?
松田恒次氏は、山本健一氏を心の底から信頼していただと言われています。エンジン開発でどんなに上手くいかなくても、松田社長は山本氏を励まし続け、一緒になってロータリーエンジン開発を行ったといわれているのです。
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というわけで、今回はロータリーエンジンの生みの親である山本健一氏について、詳しく解説してきました。世界的な大偉業を成し遂げた、スーパーエンジニアだということがお分かりいただけたでしょう。
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