世界には多くのスポーツカーが存在しています。その中でもTVRの創業は古く、1947年にイギリスで誕生しました。1990年代には国内で最大の独立したスポーツカーメーカでしたが、その始まりは主に車の車体を製造する小さなコーチビルダーでした。ではなぜここまで有名になったのかを歴史を振り返りながら見ていきたいと思います。
退学から弟子入りを経て
TVRは1947年にトレバー・ウィルキンソンの手により創業されました。小型スポーツカーの製造を特徴に持ち、現代まで様々な車が作られてきました。50年以上の歴史の中で「スポーツカーは大馬力で軽量こそが大事である」と考えFRPボディを使用した軽量ハイパワーな車を製造し続けてきました。当初、TVRの乗用車にはエアバックやABS等の安全装置は勿論電子デバイスは搭載されていませんでした。そのおかげで、高性能の割に安価という特徴を持ちます。その反面、信頼性に欠けるという評価もありました。
そして、そういった問題を解決しようとロシア人事業者に買収された後は自社製造でまかなうつもりで開発が進みました。しかし、その後の会社経営は混乱し販売数は激減し、遂に2006年12月には一度経営破綻してしまいます。それから7年後の2013年に経営者が変わり再建されると、2019年には新車販売が出来るまで回復しました。

トレバー・ウィルキンソン
1937年、当時14歳でったトレバーは学校を退学し、地元のブックプールで自動車屋に弟子入りをしました。そして9年後、彼が23歳の時に郊外の修理工場を改装し「Trevor Engineering」開業しました。これは家族で唯一の理解者だった息子の熱意によりこの開業は実現しました。開業当初は自動車修理とディーラー業を主な収入源でした。そして、自身の経験を生かし既存のシャーシから特別な車を製造することから始めました。
1947年にはジャック・ピッカードを最初の従業員として迎え、会社名も「TVR Engineering」と改名しました。この頃には、軍のトラック整備という安定した収入もあり事業として波に乗り始めました。そして、2年後トレバーはTVRの独自のシャーシの開発をスタートさせました。しかし、トレバーもジャックも自動車工業の知識は乏しかったため完成までには多くの時間がかかりました。
最初のシャーシは鋼鉄の枠組みにより形成され、初のテスト走行では木にぶつかることで止まるといった有様でした。それから改良が重ねられまとものブレーキが取り付けられる形となりました。そして、ボディワークに着手するためレス・デールが雇われ、これにより最初のTVRが完成することとなりました。初の車はお世辞にも良いものとは言えなかったが、トレバーの従妹が購入したおかげで初の販売も形になりました。しかし、この時には車両製造は趣味の域を出ているものではありませんでした。その後はワンオフモデルを繰り返しながら生産をし、1958年のグランチュラの製造以降に生産数も増加していきました。グランチュラは安価なFRPボディと人気が出たおかげで、1963年にはそれよりも過激な「グリフィス」の製造することが出来ました。しかし、そのころには経営は悪化し1965年にはマーティン・リリーへと経営権は渡っていきました。
変わる経営権

・マーティン・リリー
マーティン時代には「タスカン」や「ビクセン」といったモデルを次々と生み出し、年間生産台数も400台を超えるメーカに発展していきました。しかし、その喜びも束の間で1980年に発売した「タスミン」の不評により経営は悪化していき、マーティンはTVRの経験を手放す形になりました。
・ピーター・ウィラー
次に経営権を獲得したのはピーター・ウィラーでした。ピーターは1981年にオーナーになってから、悪化の原因となったタスミンに改良を加え再販することにしました。創業当時から搭載していたフォードV8のエンジンをローバーV8に変更し、シャーシを細くすることにより軽量化に成功します。その後の1986年Sシリーズとして発表し年間台数は700台を超えました。そこから1990年にはグリフィスを、そして1992年にはTVR市場最も売れた「キミーラ」を発表しました。
1994年には常識外の自社V8エンジン「AJP8」の開発に成功しそれ以降も次々と自社エンジンを制作していきました。
・ニコライ・スモレンスキー
順調に経営していたピーターでしたが、2004年に当時24歳だったロシアの実業家の「ニコライ・スモレンスキー」の手によって買収されてしまいます。ニコライはそれまですべてのパーツを自社で作り組み立てるといった形を改め、イギリス国外でパーツを作り量産する形を考えました。さらに製造部門と販売部門を作り、新車購入後2年間の完全保証制度を導入するなど、今までではなかった仕組みをどんどん取り入れていきました。そして、2005年にはT350の後続車「サガリス」を発表しました。
破綻と再建

経営者が変わりつつ生産を続けていたTVRでしたが、2006年には週に12台の生産台数が2台まで落ち込み、71人の従業員が一時解雇されました。何とか立て直そうと努力するものの同年10月には生産中止が決定し、12月のクリスマス直前には事実上倒産し、300人の従業員は解雇されてしまいました。2007年にはスモレンスキーの会社が再建に向け買い戻しをしましたが、労働組合の強い反発もあり再建成功までには至りませんでした。
そして再建へ
2013年にTVRの権利はレス・エドガーにより買い取られました。エドガーは「VTRのブランドでもある”イギリスらしさ”が重要で、この素晴らしいブランドを消滅させたり、海外に流失させてはいけない。まずはTVRらしさを取り戻す」と語り、2017年には新型車を発表するまでに再建を果たしました。
まとめ

どんなことにも始まりがありますが、ここまで成り上がってきた自動車メーカも珍しいのではないでしょうか。最初のオーナーの創業から破綻まであったとしても再建を果たし、愛されてきたTVRの今後の活躍に目が離せません。
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